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古来、小野と呼ばれていたこの地で991年に開山した後、随心院として隆盛を誇っていましたが、度重なる戦乱で灰燼に帰し、1599年に再建されました。才色兼備の代表とされる小野小町が宮仕えをやめて、この里で余生を送ったことから彼女にまつわる遺跡が残されています。
随心院の梅は遅咲きであり、古くは薄紅色を「はねず」と呼んだことから、梅園は「はねずの梅」として人気があります。また3月には「はねず踊り」が催され、地元の人に加えて日本各地や海外からも多くの観光客が集ります。
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唄・囃子に合わせてはねず踊りを舞うのは全員が「はねず」色の着物を着た地元の小学校高学年が中心の女の子達です。他に高校生が舞う今様や雅楽が舞台で繰り広げられますが、一日4回の公演は回毎に内容が変わるようでした。少し寒いものの晴天の下、子供達の舞いを見ているのは何とも和やかな空間ですが、自然発生する地元の祭ではなく、観光客に見せるだけという趣旨のように思えて、あまりよい印象は持てませんでした。
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花の色はうつりにけれないたづらにわが身世にふるながめせしまに
有名な百人一首の歌碑です。 |
文塚 |
奥に文塚が |
小町塚 |
化粧の井戸 |
深草少将の百夜通いの伝説で有名なこの地には、小町ゆかりの遺跡が境内に点在しています。本堂のちょうど裏手に当たる雑木林の中にある文塚は、深草少将や多くの貴公子たちから小町に寄せられた文を埋めたところと伝えられ、小町を追善追慕する小町塚、文張地蔵などが見られます。
また小町が朝夕ここの水で化粧をこらしたと「都名所図絵」記される、井戸も現存しています。近づくと汚い水が澱んでいるだけでしたが。
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表書院から本堂と庭 |
表書院及び本堂から眺める庭は意匠的には特別のものは見られませんが、広い庭一面に杉苔が広がり、ゆったりとしたものでした。梅や紅葉の他に寺の収蔵物として別段これといったものもないので、観光シーズン以外はあまり人も訪れないでしょうし、のんびりと静かなときを過ごすのにはよい場所かもしれません。 |