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竹瓦温泉
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別府温泉
日本一湧出量の多い温泉でいろいろな泉質があり知らない
人はないでしょうが、ここでは宿を安めのビジネスホテルに
とり別府駅から徒歩約10分の市営浴場「竹瓦温泉」に
行かれることをお勧めします。
別府駅に着いて駅の案内所で「どこかいい温泉地は
ないか」と尋ねて紹介されたときは竹瓦温泉地区が
あるのかと思っていたくらい無知でしたが、一度訪れると
すっかりファンになってしまいました。
明治12年創設、昭和13年(1938)に建設されたその重厚な
外観は別府温泉のシンボルともいえる存在で
その建物を見るだけでも値打ちがあります。
名物の砂湯に入って仰向けに寝ると高い天井とがっしり
した風格ある広くて大きな木造建築に驚かされます。
階段を何段か下りると浴槽がドデンと真ん中にあるだけの
普通浴場はそれほど広くはないですがお湯が
熱くてとっても気持ちいいんです。
私は風呂は熱めが好きなんですが、ここは本当に熱い。
でもずっぽり浸かると体の隅々までじゅわーと
気持ちよさが拡がっていきます。
食べ物に喩えるなら、激辛でも深みのある辛さが
あるような、そんな熱さです。他にも外湯が
ありますからいくつか廻ってみるのもいいでしょう。
食事は「とよ常」でなさってください。
別府トキハの近くでちょっとわかりにくいですが、地元の
人はみんな知ってますから近くで聞けば大丈夫です。
新鮮な刺身をはじめ料理の種類も多くお手頃値段で
とっても美味しいですよ。いつもいっぱいですけど・・・。
旅館に宿を取るなら、昔ながらの湯治場の情緒を
残しているところが多い鉄輪温泉の方がいいん
じゃないかと思います。
観光で別府に行ったのは子供の頃一度きりで
普段はゆっくりできませんが、次回別府に行くときには
鉄輪温泉に泊まってみることにしています。
城崎温泉
ここの外湯めぐりも有名ですが、やはり雪の積もる
冬に行きたいですね。浴衣に丹前を重ねて石けん
カゴをぶら下げ、下駄をカランコロンと鳴らしながら
7つ(内1つは日替わりで休み)の外湯を廻ります。
冷えた体を温泉で温めることの繰り返しですが、
不思議に寒さは感じず、とても風情があります。
「さとの湯」は日本最大の駅舎温泉というだけあって
広くいろんな施設がありますので、ここひとつでも充分
楽しめますが、せめて3つくらいは入ってくださいね。
旅館に泊まれば入浴券は何枚でもくれますのでタダです。
城崎温泉には6回行っていろいろな旅館に
泊まりましたが、お薦めは「緑風閣」です。
それほど大きくはないですが廊下やエレベーターまで
畳敷でスリッパがいらず、とても清潔感が漂っています。
料理も趣向を凝らしてあって美味しく、特に朝食が気に
入りました。大体旅館の朝食はどこもよく似たものですが、
ここの魚や漬物はとってもおいしくて朝から
何杯もおかわりをした記憶があります。
朝に板前さんが斜め向かいの魚屋で真剣な表情で
夕食の魚を選んでいるのも好感が持てましたし、
細かな気配りが行き届いていて
若い女性に人気があるのも頷けます。
城崎文芸館は志賀直哉をはじめとする
白樺派の文人の手紙や作品が多数展示されていて
関心のある方には見応えがありますよ。
館内にある伝統工芸品「麦わら細工」コーナーでの
手づくり体験は意外に面白かったです。
また、城崎では旅館は素泊まりで安いところにしておき
近くの食堂で食事を取るというのもいいでしょう。
温泉街の中ほどにある魚屋「おけしょう鮮魚」の2階の
食事処は新鮮でボリュームがあります。
湯原温泉
諸国露天風呂番付でも西の横綱と評されている名所の
混浴共同露天風呂「砂湯」に妻と湯浴みに行きました。
ダムのわずか下流、旭川に石囲いで作られてあって、
広くはないですが流れる川のそば、とても
開放的な露天風呂です。
まだ日の暮れる前、近くの宿から浴衣姿で歩いていき
様子を窺がうと、先客のおじさんが3人いましたが
気にしても仕方ないので、妻は形ばかりの
脱衣場で浴衣を脱ぎバスタオルを胸から巻いて
入っていくと歓迎されて話が弾みました。
ここは水着着用は厳禁ですがバスタオルは許されて
います。川底から適温の湯が湧き出ていてとても
気持ちがよく、低張性アルカリ高温泉ということで
お肌によい温泉だそうですが
入浴時にツルツルした感じがしました。
ここまではよかったのですが、翌日大変な目にあったの
です。次の予定地、蒜山高原へ向かっている途中、
昼過ぎから妻が吐き気と下痢症状を催したため、
観光を中止してホテルに早くチェックイン。
部屋に入った途端、妻は上へ下への大騒動。
私も夕方から発熱とひどい下痢。
妻は夕方には回復してきたので何かの食あたりだろうと
思っていたのですが、あまりの高熱に耐えかねて
米子の病院までで解熱処置をしてもらっても私の熱は
下る様子がなく、下痢も止まりません。
翌朝、自宅へ電話を入れると同時に父の大声。
『大丈夫か!昨日ホテルから、食中毒を起こして
しまったが○○さんはお戻りですかと連絡があったが、
お前達の居場所がつかめんのでどうしようもなかった・・・』
とのこと。当時はまだ携帯は普及しておらず、
行く先も伝えてなかったのです。
これが食中毒というものかと妙に納得しましたが、結局
1週間近く水のような下痢が続いてお尻が・・・。
でも、たまたまJTBを通じてホテルを申し込んであったのが
ラッキーだったのか、後日お見舞金というか示談金が
何と一ヶ月分の給料と同額振り込まれたのです。
苦しい思いはしましたが何か得したような気分でした。
少々割高な気はしても大手のエージェントで
予約するとこんなときに見返りがあるのかもしれません。
滅多にないことですけどね。
以降妻は絶対にホタルイカは食べないようになりました。
私はあんまり気にしないで食べていますが・・・
飛騨古川 八ツ三館
質は弱アルカリ単純泉でトロン温泉とのことですが、
温泉そのものより創業が安政年間という老舗料亭
旅館の「八ツ三館」をご紹介します。
全室22室と収容人数は大きくありませんが、昔の
大きな屋敷をベースに増改築したようで伝統的な
飛騨商家造りの立派なものでした。
チェックイン時に通される応接室などは明治の
匂いがそのまま残されており
レトロ趣味の方にとっても非常に興味深いものでしょう。
館の隅々まで非常に心配りが行き届いており、とても
好感を持ちました。あちらこちらに様々なたおやかな花が
活けてあり、すべてに達筆な墨で名前が書かれています。
スリッパはなく廊下は中央が畳敷き両端が板敷きで
畳には床下暖房の設備が施されているようでした。
部屋のトイレにはさりげなく匂い袋が置かれてあり、
夜には笹に包んだかやくご飯のおにぎりが用意され
夜食にと一筆したためた和紙が添えてあります。
露天風呂には樽酒が置いてあり、また微笑ましくなる
添え書きとすくい網が置かれ、虫や落ち葉を
自分で取り除けるようにされています。
宗和流本膳くずし懐石という料理がここの売りで
その本格的な作法に則った料理が出されるのは
飛騨地方でもこの旅館だけだそうです。
古来の正式な提供法では夜通しかかるので、
それを「崩し」ているそうですが、それでも食事を
終えるのに2時間近くはかかりました。
器もほとんどが昔から伝わるという陶磁器、漆器が
使われてどれも素晴しく、器を見ているだけでも楽しく
なってくるところへ、それぞれが手の込んだ料理の数々。
女将さんが始めに作法と食事の進め方を丁寧に
説明してくださり、一膳が終われば次の一膳と
少しずつどんどん料理が運び込まれます。
河ふぐ、のれそれ、とんぶりなどいちいち説明して
もらわないとわからない山海の珍味に大満足でした。
5Aという最高級の飛騨牛のステーキまで出され、
とろけるように美味しい肉を賞味しました。
『海腹川背』という言葉をご存知でしょうか?
テレビゲームソフトのタイトル名ということでその言葉
だけは知っていましたが、恥ずかしながらこの年に
なるまでその本来の意味を知りませんでした。
立て串に刺してきたアマゴを目の前でわざわざ
皿に移し替えその一品だけを仲居さんが
お膳に載せてくれます。彼女にどこかおかしく
ないかと言われてみれば何かヘンなんです。
一呼吸置いてその魚の向きが逆さまなのに気付き
ました。食べる人から見てふつう魚は頭を左、シッポは
右に、つまり腹側を手前に置きますよね。
ところがその逆で背鰭が手前にきているのです。
こちらがそれに気が付いたところで仲居さんが
説明してくれます。
出された魚を見たときに、腹側が手前に来ているものは
海のもの、背側が手前に来ているものは
川のものなんだそうです。
それで、『海腹川背』
置かれ方で食べる人が判断をするのですね。
知識がひとつ増えてとても嬉しい気分でした。
食事はそれぞれに趣向の異なった個別の部屋で
いただくのですが、夕食時には社長さんが
全室に届く声で10分くらいの口上を
面白おかしく述べられます。
仲居さんをはじめ従業員の皆さんは常に笑顔で
接してくださり、その温かみが伝わってきます。
さりげない心遣いに接客業として最も大切な
「おもてなし」の心が凝縮されているような旅館でした。
温泉だけを楽しむのではなく、「もてなし」を
楽しみに行かれることをお薦めします。
湯村温泉
「夢千代日記」で一躍脚光を浴びましたが、大して見る
ところはなく、小一時間も歩けばほとんどを見て廻れます。
でも、こじんまりときれいで歴史ある温泉の風情ある
町並みを残しています。温泉は無色透明のナトリウム
泉でさらっとしており、肌がつるつるする感じです。
湯村温泉でbPとされる「佳泉郷井づつや」と女将さんが
姉妹同士である「朝野屋」が気に入りました。
とても静かで落ち着いた雰囲気の宿で、
挨拶に来られた女将さんが上品できれい。
料理も味はもちろんのこと、盛り付けの見事さに
思わず声を出してしまいました。
豆乳から自分で作る湯葉と豆腐は絶品でした。
お城のような派手な外観とは対照的に
華道、茶道、香道を基にした心安らぐ細やかな
もてなしに大満足の一夜でした。
この旅館には吉永小百合さんが泊まられたそうです。
道後温泉
有名な大和屋あたりに泊まりたかったのですが、今回は
予算的な制約があって、初めてJTBのパンフレット
から閑散期の感謝デー宿泊プランというのを選んで
正月明けに行ってみたのが道後プリンスホテルです。
温泉場の宿泊施設は和名でなきゃいかんという
先入観もあった上、通常の6割、繁忙期の半額という
安価な宿泊料金だったこともありあまり期待はしていな
かったのですが、意外に良くって満足しました。
庭園露天風呂があるのは当然のこと、広い浴場に
岩塩サウナ、泡風呂、薬湯などそれぞれが充分な
広さの趣向を凝らした風呂が16もあり
宿泊客も少なくてのんびりできました。
曜日限定の貸切露天風呂が無料というのも
ツイていましたが、露天とは名ばかり、建物内の広めの
風呂場から戸外が全て開放されているというだけのこと。
食事も体裁よくいい趣味の器に盛られた料理が並び、
程よい味付けでたこ釜飯や鯛釜飯のほかは特徴の
ある料理や際立った高級感はないものの充分満足できる
内容でした。朝はバイキングでしたが和から
洋まで種類も豊富でおいしかったです。
従業員教育も行き届いており、おすすめできるホテルです。
また、立地が道後温泉の中心部から少し離れているため、
定期的にホテル専用の循環バスを運行していますが、
このバスがピンク色のレトロ調のボンネット車体で
趣がありました。
さて、日本最古の歴史を誇る道後温泉といえばその
シンボルが道後温泉本館ですね。明治27年に
神の湯本館が建てられ、その後大正にかけて
増築された建物は重要文化財に指定されています。
どっしりとした重厚な木造3階立ての建造物は宮崎駿の
「千と千尋の神隠し」のモデルになったとも言われ、
見ていても飽きのこない歴史ある風格を漂わせています。
夜に街路灯が燈ると得もいえぬ風情があります。
観光客のほとんどが建物の正面ばかりに気を
取られていますが、裏手からの眺めも
落ち着いたよい表情で素晴しいものです。
夏目漱石が知人に宛てた手紙の中で「道後温泉はよほど
立派なる建物にて、八銭出すと三階に上がり、茶を飲み、
菓子を食い、湯に入れば頭まで石鹸で洗ってくれる
というような始末、随分結構に御座候」と書き送っている
そのままのスタイルを継承しています。
私は三階には上がらなかったので、石鹸で洗ってくれるか
どうかはわかりませんが、二階に上がると広い座敷に
浴衣の入った黒塗りの衣装籠と座布団が横一列にズラリ
と並べてあって中年の女性が数人立ち働いています。
男性はそこで浴衣に着替え、女性は別室で着替えて
衣服を籠の中に入れて狭い階段から一階の湯殿に
下りていくのです。別段恥ずかしいとは思いませんが、
女性のいる場で裸になって着替えるのは人によっては
勇気が要るかもしれません。まごついている若い
男性もおり、私も「ここで脱いでもいいんですか?」
って尋ねてしまいました。
湯殿は男性用がほとんど同じ大きさと造りのものが2つ、
女性用が1つあります。それほど広くはなく20人も
入ればいっぱいかなというくらいの感じですが
壁面の淡色のタイル画が落ち着きを与えます。
建物が立派なだけで一階から入るには普通の銭湯と
変わりのない共同浴場で地元の人たちもたくさん
入っておられました。一人の60台と思われる男性が
流れ出る湯口にずっと膝を当てているのを見て、
そうやって湯に当てれば効果があるかと
尋ねたところ、やはりかなり効くとの答えでした。
ただし、数日では効果なく長く湯治すればとの条件付。
湯は無色透明、無臭でどうということはありませんが、
やはり温泉特有のツルツル感があり、ほっこり
温まります。湯から出て再び二階に上がると
お運びさんがお菓子と高杯の茶托でお茶を
持ってきてくれます。後ろの障子を開けると町並みが
眺め下ろせ、なかなかよい気分に浸れます。
冬ではそう長くも見てられませんが。
道後温泉本館を出て向かいにある「道後麦酒館」へ。
ブルワリー直送の道後ビールがとっても美味しい。
3種類あるうち、私はスタウト・タイプの「漱石ビール」を、
家内はアルト・タイプの「マドンナビール」を飲みましたが、
それぞれの特徴がよく表れていてコクとキレがあります。
ホテルでの食事がなければそこで食べたいほど
おいしそうな料理を両隣の人たちが囲んでいました
松山で是非ご覧いただきたいのが、「坂の上の雲
ミュージアム」安藤忠雄設計になる瀟洒な建物に入ると
日本がとっても元気だった明治の時代が息衝いています。
司馬遼太郎の小説をお読みになった方には、改めて
秋山好古・真之と正岡子規を取りまく明治の
躍動感を思い起こさせることでしょう。
閉塞感の漂う現在に、20世紀初頭のの勢いを
求めるのは私だけなのでしょうか。
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